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’’アン・ディス’’日記 megamino.exblog.jp

Never Feel トータルヒーリングスタジオ アン・ディスの日記☆


by frangipanized

”映画日和”の補足 ”コンスタンティン” 

”映画日和”の補足 ”コンスタンティン” _c0161277_13502214.jpg
(映画”コンスタンィテン”より)

お化けを扱うことは、危険すぎるくらい危険なことだ、と林先生はよく口にします。

何故かといえば、隙があれば、あっという間に憑依されてしまうからです。

お化けを扱っている最中に、ほんのちょっとでも隙があれば、そこからお化けは侵入し、
いとも簡単にお化けを祓っている本人に憑依する。

先日書いたサイキック・ウォーズを近くで体験し、
友人を観ていた私もその怖さがわかりました。

友人がほんの少しの不安を抱いた途端、それが増幅し、
一気にネガティブなほうへひっぱられる。
これは自分の気持ちだ、と信じて疑わないくらい自然に。

もともとはちょっとした自分の恐れの気持ちなのですが、それが過剰に増幅してしまう。
ちょっとした恐れという隙に、お化けは巧妙に侵入してきます。

林先生は除霊の最中は、無の境地だそうです。
無念無想の状態。
除霊している意識すら持たず、自然にすべてをこなしていく。
でないと、思考が入った時点で、それが隙を与えることになり、憑依が始まるからです。

除霊するぞ!という意識を持った時点で、そこに”間“ができて、隙を与えてしまう。

また、波動装置を使って除霊するぞ!と意識するとそれも”隙”になります。

波動装置がなかったら除霊できない、という不安な意識の隙に、
お化けがほくそ笑みながら入ってきてしまうのです。

それはつまり波動装置だけでなく、他の手段、お経、場を整えるためのグッズ、
目に見えない力、そういったものを用いて除霊するぞ!という意識自体が隙になってしまう。

それらがなければ除霊できない、という人の恐れに入り込んでくるのですね。

その話を聞いていたrakanさんは『武術と同じですね』
と、おっしゃっていましたが、

武術の“相手に勝とうと思った時点ですでに負けている”に共通する、と林先生は言います。

映画『コンスタンティン』で、主人公コンスタンティンが天国に行くために悪魔祓いを続ける、
という名目は、まさに”隙”。
自らの恐れに基づいた非常に個人的な目的。

除霊ができたらかっこいいなあ…そういった個人的な願望も全て隙になってしまいます。
それでは、本人があっという間に憑依されてしまう。
本人も気づかぬ間に・・・

『天国に行くために戦う、ということ自体が違うよ』とは、
そういった意味から発せられた言葉でもあります。

また、『地獄に行ったって、悪魔なんていないよ』とは、
地獄に行くとは、未成仏霊になるということで、
そこは他の未成仏霊のたまり場であり、映画のサタンのような主がいるわけではない、
ということだそうです。

悪霊の程度に大小はあるものの、そこの“あるじ”はいない、と。

以上、長文になりましたが、少しでもご参考にして頂けると幸いです☆
by frangipanized | 2009-01-11 13:52 | 除霊